こんにちは!!
浜田幸一です。
このブログは、音声配信をAIで文字起こししてお届けしています。
(話し言葉になっていますが、ご了承くださいね!!)(笑)
*音声は、一番最後のStand.fmでお楽しみください!!)
夢を追う決意
みなさん、こんなことないですか? なんかやる気あるんだけど、やる気が空回り・・・
なんか人から、言われてへこんでしまった。夢諦めようかなー、なんて思うことありませんか?
絶対ありますよね。僕も若い頃ありました。
今日は、一念発起して九州の熊本から東京へ上京した時のお話をします。
今ちょっと落ち込んでる人、あるいはどうしたらいいかと悩んでいる方、
ちょっと勇気が出ると思いますので、この話を最後まで聞いてください。
うちの実家は、建設業です。
僕は後取り息子として帰って来ました。
僕自身建築の方は、興味ない、はっきり言って素質がないと思っていました。
一級建築士もとりあえず3回受験しましたけども、すべて落ちました。
22歳で田舎に帰って来ました。最初は浜田の息子は、優秀らしいと言う感じだったのですがだんだん化けの皮が剥げて行きました。。
そして、最初の夢だった研修講師になろうと思って、上京を決意しました。
30歳の時のお話です。都城で3年前に出会った箱田忠昭先生に弟子入り
しようと思った訳です。
ところが、無いものが2つありました。
1つはお金。それからもう一つは、成功する見込みの保証・・・
師匠との面談
まず何をやったかというと、お金がないので車を売りました。
車を売っても当時は、すぐ換金できないので、姉からお姉を借りました。
それから30歳の7月に鹿児島空港から、上京しました。
その日は、めっちゃ雨が降ってました。見送りは、たった二人・・・
1人は大塚と言う後輩、もう一人は駅のキオスクにパンや新聞を納入している田中さんと言う先輩でした。
この頃の僕は、ヤンチャで自分が頑張れば成功できると思っていました。周りとの協調性は、全くと言っていいほどありませんでした。
上京して1週間後、師匠のところに行ったわけです。
これは、歴史に残るアポなし面談でした。師匠の事務所は都内神田にありました。
5階建ての雑居ビルです。その5階が師匠の事務所でした。
1階のグリーンの公衆電話から電話をかけました。秘書の上野さんと言う方が、電話を取り次いでくれました。携帯電話がまだない時代です。
『もしもし、浜田と申しますけども、箱田先生いらっしゃいますか?』
『箱田です』
うちの師匠が出ました。『浜田と申しますけど・・・』
『ん?どちらの浜田さんですか?』
『あのー、青年会議所の講演会でお会いした浜田幸一です』
『あー、浜幸さんね。覚えてますよんー、どうしたの?
『織田先生、お話したいことがあるんですけども、お時間いただけますか?』と言ったら、
『今だったらいいよ〜』と言われました。僕は力強く『今がいいです!!』と答えました。
『ん?あんたどっから電話してるの?』
『下のグリーンの公衆電話です!』って言ったらですね、
家出少年Aが2個バッグを持っているわけです。
雑居ビルですから、エレベーターもエスカレーターもありません!
窓は、手で開きます。
本院が電話を握りしめて、窓の下を見たら、家出少年Aの浜田幸一がいるわけです。
もう、慌ててですね、階段を降りてきました。
『あっ 箱田先生、お忙しいところすみません・・・』
『いえいえ、浜幸さん、久しぶりだね!ところで、今回の東京ご滞在は、
何日ですか?』って言われて、
”無期限です!!”
『えっ、無期限?』
『先生、覚えてますか? 3年前に、宮崎県都城の講演会で、
面倒を見ますと言って名刺くれたじゃないですか』
ですから出てきました。
『あんた、ほんと出てきたの?』
”はい!!”
もうですね、困ったような顔してるわけですよ。
だってまだ、独立して間もないし・・・
お金も本人ないし、人件費一番かかるじゃないですか。
こっちは帰れない。
かたや雇えない。
WIN/WINになりそうもない交渉が始まりました。
師匠は上手いことを言って、僕を返そうとします。
『浜幸さん、歳30だったよね。男は30にして立つと、
孔子が、言ってるからさ、仕事頑張らなきゃダメだよ』とか言ってですね、
散々僕を説得しようとするんですね。
ところが説得されたら困るわけです。
こっちは背水の陣です!!
10秒か20秒かな。
ちょっと沈黙あったんですね。
おかしいと思いませんか?
明るく楽しく元気よくやりましょうという二人が、落ち込んで下見てるわけですよ。
そしたらね、いいアイデアが浮かびました。
とっさに思いついたんですけども、
にっこりですね。笑って顔を上げて、
僕は師匠の箱田先生にこういう風に言ったんですよ。
『箱田先生、僕タダでもいいんですけども。あっ、タダね。
タダだったらいいんだよ。じゃ、こうしよう。あなたは私の鞄持ちをやっていいや。
ただし、ギャラは無しね!!』
そこで交渉が、成り立ったわけです。
『先生、いつから来たらいいですか?』
『明日から来てくれ!!』
やっぱりね、30歳でバリバリですからね。
なんか荷物を持ってくれる人が欲しかったみたいです。
それから、
まさか1日16時間労働が続くとは思いませんでした。
挑戦の重要性
意外な結末なんですけども、入っちゃえばね、こっちのもんだよね、はっきり言って。
それを、とっさに思いついた僕は、偉かったなと思うんですけども・・・
ただ、これは序曲で、それからとんでもない日々が続くとは、思いませんでした。
結果、
4ヶ月後に倒れることになるんですよ、1日16時間仕事をやって・・・
その時の話は、またしますね。
何を言いたいかというと、
今日の話は、諦めないと、道は開ける。
行動を起こす。
とにかくね、
人生はチャレンジ、飛び込んでいく勇気を持て!!
これが僕があなたに伝えたいことです。
それではまたお会いしましょう。
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